過去の記憶
五月八日に投稿以来です。
その間インスタグラムを利用していましたが、やはり自分の気持ちを正確に表現するにはブログが一番だと気づきました。
さて、久しぶりのブログで何を言いたかったかというと、戦争の記憶です。
最近「二十四の瞳」のテレビを見ました。
戦争に関するドラマとか本は、悲しい記憶を呼び起こし今までなるべく避けるようにしていました。
ふと廻したチャンネルでこのドラマを目にし、郷土の作家でもあり改めてみるのもよいかと思いましたが、やはり涙なしでは見られませんでした。
ちょうどその前日に友人宅で、空襲に遭ったときの思い出話というより悲しく怖かったという経験話を聞いたばかりでもありました。
私は終戦後の生まれで戦争の記憶はありません。ただ終戦直後の貧しかった記憶は今も鮮明に記憶に残っていますがそれが当たり前の時代でした。
友人は八歳のころで生々しく覚えており防空壕、爆弾の投下、何とか生き延びてその日は野宿し、目も当てられない惨状を目にしながらお年寄りを大八車に乗せて郊外の親類宅に避難した様子を語ってくれました。
空襲時の話は時々聞いていましたが、皆あまりくわしく語りたがらずこれほど臨場感をもって聞いたことはありませんでした。
その後「二十四の瞳」をみることになり、戦争という過去の記憶がいかに薄れてきているかと我ながら実感しました。
昨年の夏 ソラナムラントネッティ
高知の「モネの庭」が開業したおりに苗を購入して植えたものです。
すっかり老木になり花数も少なくなってきていました。
今年枯れてしまいした。
ひこばえがたくさん生えてきていますから、根は生きているようです。
昨年念のためと思って挿し木をしていたところ、いまではこんなに大きく育っています。
この木のように過去美しく咲き誇っていた記憶は消え去り、新しい芽生えと変わっていくのもこの世のならい、でも記憶は記憶として残ってほしいものです。